一神教に関心ある人の広場



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


7件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[7] コモさんで結構です。

投稿者: 菰渕 投稿日:2016年10月13日(木)21時38分54秒 p197066-ipngn200203takamatu.kagawa.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

 会社でもコモさんと呼ばれておりますので、お気遣いなきよう。さて、キリスト教関係の洋画はほとんど見ております。最近見たもので感動したのは、

「ローマ帝国に挑んだ男 パウロ」(アメリカ TV映画)・・・使徒言行録の内容が視覚的に満喫出来る映画です。パウロの教えがファリサイ派由来であることを理解出来ます。イエス・キリストはパウロを改心させて何をさせたかったのか。う~ん、悩みます。

「マリア」(アメリカ 2006年)・・・白人ではなく、褐色のマリアが主人公です。マリアはユダヤ人ですから当然と言えば当然ですが…。ルカ福音書に忠実に描かれています。聖母マリア崇敬者(私も)必見!。

「パッション」(メル・ギブソン監督 2004年)・・・最初映画館で観ました。途中涙が止まらず、大泣きしてしまいました。アメリカでは上映中にショックで亡くなる老人もいたとか。神がイエス・キリストに何故あそこまでの苦難をお与えになったのか。その意図は?単に贖罪論ではかたずけられないものがあるように思いますが。

これはユダヤ教関連ですが、

「エクソダス:神と王」(アメリカ 2014年)・・・昔、チャールトン・ヘストン主演の「十戒」を見ておりましたので、本作がより科学的に現実的に描写し直しているのには、う~んとうなりました。海が割けるシーンは地震による引き潮との解釈は納得がいきますが、シナイ山でモーゼが十戒の石板を自分で彫っていたのには参りました。現実とはこんなものかも知れませんね。

昔の作品ですが、特異なものに「最後の誘惑」と言うイエス・キリストの映画があります。マグダラのマリアが娼婦として描かれているのが気に入りませんが、他は新たな視点でイエス・キリストを捉えた革新的な映画です。苦悩するイエス・キリスト像が深く印象に残っています。

今日は少し軽い話題で失礼致します。独自の単立教会ですか。あったらいいですね。私も先立つものがありませんが、それなりに同志が集まれば、何とかなるかも知れませんね。

http://komonet.qcweb.jp/




[6] コモさん

投稿者: エムト 投稿日:2016年10月13日(木)09時28分15秒 cts061209222159.cts-net.ne.jp  通報   返信・引用

コモさんと呼ばせて頂くのは失礼ですか?システム・エンジニアのかたのようでHPを作成なさるとは素晴らしいですね。コモさんのプロフィールはすでに御サイトの方で拝見しており、いろんな宗教に関わっておられて私のようなキリスト教、それもプロテスタント、さらにそれも一部の教派だけしか経験のない井の中の蛙とは違って、サイト内の文言から霊性的にも広汎な体験と感性を身につけておられるようにお見受けしました。
カトリックとかエキュメニカルと聞くと、私の経験としては神学校にいた時、フランスのテゼ共同体の日本版とでもいった「黙想と祈りの集い」(たしか、そんな名称だったと記憶します)に友人と共に参加して、都内のカトリック教会や小さな修道会に行った日のことを思い出します。プロテスタントの教会でふだんやっている祈りというのは、周りの人にどう思われるかを気にして、どうかしたら原稿を用意して来てそれを棒読みする信徒さんもいるようなことで、これではよくないなあ、祈りは独りでやる方がいいなあ、などと思っていたのですが、テゼのことを知って沈黙というのがプロテスタントの教会にも必要だなと感じました。
ところで映画「パウロ」については初めて知りました。私も一度、観たいと思います。



[5] お邪魔します。

投稿者: 菰渕 投稿日:2016年10月12日(水)23時47分8秒 p197066-ipngn200203takamatu.kagawa.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

 メール有難うございました。教会教職までされていた方とは、さすがにお詳しいはずです。私は未受洗の求道者に過ぎませんので、又色々とご教授下さい。私も以前ユニテリアン系の教会が日本にもないものかと調べた所、東京に同仁キリスト教会というのがあるようです。先程そのホームページを見てみましたが、どうもユニテリアン・ユニバーサリズム系の教会のようで、厳格な一神教の会派とは言えない点が多いようです。一応、反「三位一体」の教会ではあるようですが。最近はエキュメニカル運動に力を入れているようで、少しがっかりですね。

 昔カトリック教会に通っていた頃、カトリック教会でもエキュメニカル運動に力を入れていたようで、一度エキュメニカルの集会に参加した際には、地元のペンテコステ派のプロテスタント教会から牧師夫妻が参加されておりました。ま、同じ「三位一体」派ですから、仲良くされるのもうなづけますが。ああ言った場では、余り議論を交わすような事もできませんので、少し消化不良と言った感がありました。

 私は通っていた幼稚園が日本基督教団の長老派教会でしたが、幼児洗礼とかは受けておりませんでした。幼稚園の行事などを通してキリスト教に触れる程度でした。小学校に上がり父方の方へ引っ越した後、母が創価学会に入信したものですから、私も一緒に入信させられ、小学校上級年生から高校まで創価学会の勉強会に出かけて仏法の勉強をしておりました。高校二年生の時にある事から人生に悩み、登校拒否などを繰り返す中、「エホバの証人」や「末日聖徒イエス・キリスト教会」の宣教者が家に訪ねて来て、何回かその教えを聞きました。そうした内に、創価学会を辞める決意を固め、イエス・キリストに精神的救いを求め創価学会を脱会した次第です。

 私がキリスト教の教義に関心を持ち始めたのは最近の事ですが、調べれば調べるほど現在の正統派と呼ばれる教会の教えがイエス・キリストの説いた教えから遠ざかったものであることに驚きを隠せません。今ではパウロの教えにも疑念を抱くようになりました。使徒言行録を読み、映画「パウロ」を見るに至って、普段参考にしているあるサイトのパウロ批判の意味が分かったように思います。「最後の晩餐」の矛盾(ヨハネ福音書と共観福音書の違い)、「贖罪論」の出自の問題(パウロが発祥元)、「三位一体」を裏付けるための聖書の改ざん(「父と子と聖霊の御名において洗礼を施しなさい」と言う聖句)などなど、問題点が山積しています。

 従順なキリスト教徒はこのような矛盾に気付くこともなく、毎日曜日に「三位一体」の神を仰いでいます。カトリックはまだ許せます。「父なる神よ」と呼び掛けていますから。許せないのは、「イエス・キリストが神である」と教えている一部のプロテスタントの教会です。「三位一体」をはるかに逸脱しているではありませんか。あ、少し熱くなってしまいました。お許し下さい。今まで訴える先がなかったものですから。長々と失礼致しました。

http://komonet.qcweb.jp/



[4] ユニテリアン小史

投稿者: エムト 投稿日:2016年 4月21日(木)22時05分23秒 cts061209222159.cts-net.ne.jp  通報   返信・引用

以下は、「信仰と合理的思考、ユニテリアンの歴史とシャルリ・エブド紙襲撃テロ事件」からの引用です。
http://engineerism.com/2015/01/27/unitarian-universalism/


・16世紀
ユニテリアンの系譜をさかのぼると、Post to Post Links II error: No term found with slug "michael-servetus"の思想が起源にあります。
16世紀前半当時、己の良心と理性に照らして聖書を読むことを主張し、カトリックとプロテスタント双方から異端者扱いされたひとびとがいたのですが、セルヴェもそういった革新的な人文主義者のひとりです。最終的に友人のPost to Post Links II error: No term found with slug "jean-calvin"と論争し、彼の拠点であるジュネーブで火刑に処せられました。セルヴェは、三位一体が理性に反する誤謬だと主張したのです。
その後、反三位一体を標榜するひとたちがユニテリアン信条を持つポーランドの小改革派教会やトランシルヴァニアのユニテリアン教会を作りました。ちなみに、Post to Post Links II error: No term found with slug "isaac-newton"もまたユニテリアンに数えられるそうです。

・17世紀
この時期、反三位一体論の流れが「ソッツィーニ主義」として知られるようになります。
イタリアの神学者ファウスト・ソッツィーニが、1580年にポーランドの小改革派教会に指導者として迎えられ『ラコフ教理要綱』を書きました。これが、小改革派教会の神学の基準になります。ソッツィーニはキリストを模範的人間のロールモデルとして捉え直しました。

・17世紀から19世紀までのイギリス
『ラコフ教理要綱』がラテン語に訳されて英国で出版されたのを期にソッツィーニ主義が浸透していきます。『失楽園』で有名な詩人のミルトンは反三位一体論を没する直前に書き、哲学者のジョン・ロックも、1658年に宗教的少数者の権利を訴える寛容論を発表してユニテリアン主義を擁護しています。ユニテリアン主義者のPost to Post Links II error: No term found with slug "joseph-priestley"は酸素の発見で知られる自然哲学者ですが、1782年に『キリスト教の堕落の歴史』を書いています。
プリーストリーは、国教会牧師テオフィラス・リンゼイとイギリス初のユニテリアン教会を設立したのですが、非国教徒な上、フランス革命を支持したので暴徒に家を焼かれ、その後も続く迫害を避けてペンシルヴァニアに移住しました。そして、アメリカ初のユニテリアン教会を設立します。プリーストリーは科学者、政治哲学者、神学者、自然哲学者などなどさまざまな顔を持ち、日本ではあまり名は知られていませんが注目すべき万能型の才人です。
その後の英国でのユニテリアンは、ジェイムズ・マーティノウに組織化されたり、保守派と改革派に分かれたりと、現在まで続いているようです。

・17世紀から19世紀までのアメリカ
米国のユニテリアンはイギリスのそれとは独立して登場しました。
1620年にメイフラワー号に乗って渡ってきたピルグリム・ファザーズに、1629年に神の国を実現しようと渡ってきた人々が合流して「会衆派」という民主主義的な教会(教会員である会衆が教会運営の決定を行う)を形成します。米国ユニテリアンはここから生まれていきます。
まず、若者の教会離れなどが原因で2つのグループが生まれます。非合理性や突然の感情的な回心を重んじる保守派、理性こそが宗教的な成長には必要だとするリベラル派。後者は人間性を肯定し、道徳的、霊的、知的な成長を信じていました。両グループはしばらく共存できていましたが、ハーバード大学の神学教授職の選挙戦を発端に「ユニテリアン論争(三位一体か、神はただ一人だけかをめぐる論争)」が起こり決裂します。カルヴァン主義者とユニテリアン側の戦いで、セルヴェvsカルヴァンの再演です。結局、リベラル派が勝ってハーバードに神学部を設立します。
リベラル派は学部設立にあたり、ウィリアム・エラリー・チャニングの「ユニテリアン・キリスト教」という説教をマニフェストに定めます。チャニングは、自分のことは自分で責任を負い、神を愛し、神に倣い、人格を高めるよう努めるべきと考えていたようです。1825年にはボストンに米国ユニテリアン協会を設立し、同時に反発する人もまたあらわれてきました。たとえば、プラグマティズムの祖Post to Post Links II error: No term found with slug "ralph-waldo-emerson"などです。
ここからユニテリアンの諸子百家化が起こりひとりひとり意見が一致しなくなっていくのですが、レイ・カーツワイルの宗教教育を施したユニテリアン派教会にはPost to Post Links II error: No term found with slug "francis-ellingwood-abbot"というラディカル派のユニテリアンが関係ありそうです。
アボットは、個人の魂の不滅を否定し、科学的有神論なるものを唱えました。言語学者・東洋学者マックス・ミュラーの比較宗教研究の成果を取り入れて個別の宗教すべてに通底する普遍的な宗教感情を重視したのです。アボットには教義の相違を超えて人類が共通の交わりをもてる「普遍宗教」という発想がありました。ちなみにアボットは「形而上学クラブ」のメンバー、すなわち、プラグマティズムの創始者たちに影響を与えてもいます。



ユニテリアンの特質

宗教思想史家の土屋博政氏は、すべてのユニテリアン教徒に共有される信仰箇条は存在しないと断ったうえで、英米圏のユニテリアンのサンプルとしてジョン・ライトとシェームズ・フリーマン・クラークの考えを挙げています。
英国ユニテリアンのジョン・ライトが1901年に著した『ユニテリアンが否認するもの、信じるもの』によれば、ユニテリアンは以下の7つを否定します。
a.聖書全てが神の霊感を受けているという信仰
b.神は、父なる神と子なる神と聖霊という3つの位格と1つの実体において存在するという三位一体説
c.キリストが神の子であるという信仰
d.人は生まれながらにして罪を負っているという原罪信仰
e.イエス・キリストが我々の罪のために身代わりとして十字架にかけられたと信じる贖罪信仰
f.悪魔の存在を信じること
g.永遠の刑罰があるという信仰

また、以下の7つを肯定します。
A.個人で判断する権利と義務があること
B.神の存在
C.神の愛と摂理
D.救いは自分で勝ち取る責任があること
E.人は全て自分の言動に対して、環境のせいにせず、自らの責任を負うこと
F.霊魂は不滅であること
G.人類は最終的に皆救済されること

「肯定する7つの点」では、ラディカル派は(F)と(G)に疑問を感じるそうです。彼らはキリスト教の枠組みを超えようとしているので(G)は掲げません。(F)を否定するラディカル派にはアボットがいましたね。また、社会改革派という一派は環境整備を重視するので(E)には賛成しかねるそうです。
ちなみにですが、日本の隠れキリシタンも原罪は信じていませんでした。聖書を書き換えています。隠れキリシタンの聖書ではアダムとエバが禁断の果実を食べたあとにゆるされているのです。私見ですが、彼らはキリスト教を呪術や神話の世界に押し戻したのではないでしょうか? 個や自己コントロールの観念がなかったように観えます。
一方で、隠れキリシタン同様、原罪や贖罪を否定したユニテリアンには、個の意識や理性への信頼が強くあります。
米国ユニテリアンの保守的なリベラル派であるジェームズ・フリーマン・クラークは、ユニテリアン主義を普遍教会に発展させよう、キリスト教の教義を自由主義化すれば普遍的になると考えていたそうです。『十大宗教』という比較宗教の研究所を書いていて、普遍宗教の共通点を探ろうとしたそうなのですが、土屋氏が指摘するには「リベラルなキリスト教的バイアスを持って他宗教を包括するもの」でした。
以下は、クラークの「ユニテリアン信仰五箇条」です。
A.神の父たること(土屋氏によれば、神の唯一性を示す当時の表現とのこと)
B.人間皆兄弟
C.イエスが指導者であること
D.品格による救済
E.人類の無限の進歩
イエスはあくまで人間であり、ユニテリアンが常に強調している自己修練、個人的成長、楽観的な進歩思想が(D)と(E)に強く表れています。
こうしたクラーク流のリベラル・ユニテリアンの神学に対し、20世紀の大神学者パウル・ティリッヒは人間の「悪魔的な」性格を見抜く洞察力に欠けると批判したそうです。


ユニテリアンの意義

不必要なストレスを予防したり和らげたりするためには心や野性をある程度コントロールする必要があります。したいこと、すべきことをするためにも、怠惰や好き嫌いによる拘束をゆるめ、回避行動(嫌なものや状況を避けようとすること)や自分への言い訳、一時しのぎを減らさなければなりません。易きに流れず、自分の感情や認知フレームを器用に導いていくことは幸福度や生産性の向上につながります。
ユニテリアンのスタイルはこうした文脈から評価することができます。イエスを模範、教師としてとらえ、教条的であることを避けようとし、個の判断を重く見る態度は、人間の力への過度な信頼を招きうるとはいえ、学ぶべきものが当然あります。理性やロールモデル、自己コントロールといったものは古くさくダサく思われがちですが、依然有効なのです。
もちろん、プラグマティズムへの直接的・間接的な影響を与えているユニテリアンは、思想史的にも無視できない存在です。



[3] ユニテリアンについて Ⅱ

投稿者: エムト 投稿日:2016年 1月31日(日)17時18分5秒 cts061209222159.cts-net.ne.jp  通報   返信・引用

管理人のエムトです。ユニテリアンに関する記事引用の続きです。引用にあたっては相変わらず改行を入れないので読みづらい点があるかもしれませんがご了承ください。

<矢野は佐伯藩士の家に生まれ慶応義塾で学び福澤諭吉門下として官吏になり明治14(1881)年(30歳)に下野した後も大隈重信を党首とする自由民権運動の政党・立憲改進党の結党メンバーとなり郵便報知新聞を政党機関紙とし(すでに明治9年に副主筆)、政治小説家、ジャーナリスト(晩年は「大阪毎日」副社長)として活躍した地元の名士です。宗教面では明治19(1886)年、同紙に連載した「周遊雑記」(国会開設を前に西洋諸国の諸制度を調査するために外遊したイギリスから送った海外通信)の下巻(宗教道徳の部)でユニテリアンの思想を、本格的という意味では日本で初めて紹介したそうです。当時の欧化主義的、功利主義的観点からユニテリアンの宗教を高く評価して日本の国教にしようと提案した人物だとも云われています。ちなみに明治20(1887)年に初めてユニテリアン派の宣教師として来日したナップという人物の思想はおかしなもので、キリスト教的であるどころか日本の神道寄りとさえ思われます。明治23年に日本に入ってきた米国の「ユニテリアン・ユニヴァーサリズム」はすでにキリスト教系教派としてのレベルを超えてしまっていたと思われます。そもそも福澤諭吉にせよ矢野龍渓にせよ神学は全くの門外漢であり、ユニテリアンのキリスト教内部における本来的意味など知らぬままに、無宗派で道徳的であるという点だけで評価したようです。ただし福澤は比較宗教研究への関心があり、それがユニテリアンに対する関心にもつながったようです。とにかく明治の開明的な人々は、日本にもヨーロッパに於けるキリスト教のような基軸となる宗教が必要であると感じ、古来の神道や仏教や儒教では役に立たないことを見抜き、ならばキリスト教というわけではないですが無宗派で寛容で合理的なユニテリアンならよいとみたようです。矢野龍渓の生家跡は独歩が下宿していた鶴谷学館の館長坂本邸の近くにあり、現在、旧坂本邸が国木田独歩記念館となっており、龍渓の生家跡には肖像画入りの案内板が立てられています。ところで、平凡社の『世界大百科事典』の「キリスト教文学」において、「明治20年代より盛んとなった自由主義神学、さらにはユニテリアンの思想は透谷をはじめ島崎藤村、国木田独歩らにも深い影響を与え、日本の土着の心性ともからんで一種の汎神論的思想や運命論的諦観へと彼らを傾斜させた」云々と記されていますが、透谷や藤村はともかく、独歩についてはいかなる根拠があってこのように言われているのか全く不明です。ユニテリアン(=ユニタリアン)は神学的にはトリニタリアンの反対語であり、キリスト・イエスの神格を認めず正統的教義の「三位一体」を採らない立場です。これが拡大解釈されてゆき、日本に入ってきたユニテリアン思想における「一」は、キリスト教の三一神教に対する単一神教という本来的意味の「一」ではなく、超宗教的・万教帰一といった普遍的意味の「一」になっていたようです。そこに福澤や矢野が注目したのです(ちなみに福澤の生家は浄土真宗本願寺派でした)。ユニテリアンは日本では惟一教と訳され、信者は惟一教徒とも言われました。日本初のユニテリアン教会とも言える「惟一館」(現在の「友愛会館・三田会館」)が東京の芝に建てられ、その開館式が行われたのは明治27年3月25日で、福澤諭吉はユニテリアンの道徳力に惹かれて宣教師のナップが来日した明治20(1887)年以来、ずっと支援していました。この開館式でも福澤はユニテリアン推薦の演説をしています。福澤はユニテリアンの神学校である自由神学校が先進学院と改名された時の、その名付け親になり、しかもその先進学院を慶応義塾のエクステンション(拡張講座)にしようと考えたほど入れ込んでいたのです(エクステンションも大学によって、単位が認定されるものとされないものとがあります)。慶応義塾のドイツ語教授で惟一教徒の向軍治によれば、福澤は慶応義塾の中にユニテリアンの神学部を置いて惟一館をユニバーシティー・エクステンションにしようと考えていたそうです。(中略)『世界大百科事典』の文言における「自由主義神学」というのは、具体的にはテュービンゲン学派の「普及福音教会」(1885年「普及福音新教伝道会〔AEPMV〕」スイス人宣教師W・シュピンナー来日)を指していると思われ、宗教史学派との関係も指摘されていますが、一般的にはこれと「ユニテリアン」(1887年「アメリカ・ユニテリアン協会〔AUA〕」宣教師A・M・ナップ来日)、さらに「宇宙神教」とも呼ばれ「日本同仁基督教会」と改称した「ユニバーサリスト」(1890年「アメリカ・ユニヴァーサリスト(協会)〔UGC〕」宣教師G・L・ペリン来日)の3派を総称して「新神学」あるいは「自由神学」とか「自由キリスト教」と云われています。海老沢有道氏と大内三郎氏の共著『日本キリスト教史』(日本基督教団出版局)でも、「ひとくちに『新神学』といっても、それはかならずしも一定の教派教会の神学をさすわけではなく、その輪郭も内質も漠然としていてはっきりしない」と言われています(p316参照)。(中略)ところで、明治時代に日本に入ってきたユニテリアンは「普遍宗教」(universal religion)を志向していたと云われています。だからユニバーサリストと一致したのです。実際的には社会主義と結びつきますが、それは本来のユニテリアンの性格と直接の関係があるのではなく、日本人にとってユニテリアンに代表される自由主義キリスト教は、イエスの教えを教理としてではなく社会実践として受けとめ応用するものであったというのが実態でしょう。要するにキリスト教社会主義です。彼らの関心には三位一体の問題といった神学的な事柄はほとんど含まれていなかったと思われます。ちなみに、後に新神学の影響を受ける同志社英学校では、ナップが来日する3年前の明治17(1884)年3月に「信仰復興(リバイバル)」が起きたそうです。中には発狂して死んだ者もいたそうです。後に新神学の影響を受けて社会主義者になる安部磯雄も経験しましたが熱狂的にはならなかったそうです。話は変りまして、神道国教化政策は明治の初めからありますが諸事情で停滞していました。しかし大日本帝国憲法と教育勅語が発布される明治22(1889)~23(1890)年以降、絶対天皇制が台頭する時期に入ると(国家神道は明治からだが、天皇制ファシズムが顕著になったのが昭和初期であり、天皇機関説事件に伴う国体明徴運動および「国体の本義」における天皇の「現人神」化〔加藤玄智〕による)、矢野はユニテリアンから手を引いたと云われています。いかに宗教的に寛容で普遍性あるユニテリアンであってもキリスト教系であることに変わりなく、これをあからさまに支持することはさすがに憚られる社会的雰囲気になってきたのです。矢野だけではなくユニテリアンを支援してきた貴族や政府高官は、明治24(1891)年1月に起きた内村鑑三の不敬事件によるキリスト教全体に対して風当たりが強くなったことも併せてユニテリアンから離れたようです。こうして矢野は国教化の志を棄てたのです。従って独歩と初めて接触した時の矢野はその方面で感化を与えることはなかったと思われます。福澤がユニテリアンから手を引くというか関心を失くしたのは明治30(1897)年11月頃だそうです。その主たる理由は、福澤諭吉がそもそもユニテリアンに関心を抱いた最大の理由と関連しています。それは道徳力です。しかもそれは教育勅語のような上から押し付けられたものではなく、良心の自由を認めるものでした。福澤は教育勅語には賛成せず、彼が認める天皇制は現代の象徴天皇制に近かったと云われます。まさに福澤自身、先進的だったのです。ところが共にそうあるべきユニテリアンの宣教師たちは、日本で教育勅語が発布されることによりこれに従ったのです。彼らの欠陥はその寛容すぎる相対主義的思考にありました。かくして福澤はユニテリアンの年来の主張であったはずの日本に於ける「道徳改革」をめぐって宣教マコーリィと見解が分かれてしまったのです。しかしそれよりも、マコーリィの前任者であるナップは、明治32(1899)年の条約改正で内地雑居が実施され、日本人が欧米諸国の人々と平等に交流できるようになることから、慶応義塾とハーヴァード大学との提携の話を持ち出して福澤を喜ばせ完全にその気にさせたのですが、その提案を自ら裏切り、福澤を大いに落胆させたことが原因と云われています。(中略)ところで、明治24年といえば、海老名より約1歳下だが同じ熊本バンドの一人で同志社英学校を同じ年に卒業した金森通倫が、新神学への転向表明と言える『日本現今之基督教並ニ将来之基督教』を著した年でもあります。この著書はユニテリアンの印刷所から出されたと云われています。翌年の5月のマコーリィ(=ナップの後継者)の書簡に、金森通倫が数カ月前にやって来てユニテリアンが目的において真にリベラルであるので一緒に働きたい旨を言ったので9月に仕事を始められるように準備したところ、金森は約束を破って政界入りし自由党の議員になってしまったと嘆いたそうです。金森の『回顧録』によると逆にマコーリィが金森のところに来てユニテリアン教会を任せたい旨の依頼をしてきたが、金森はユニテリアン派に入って正統派に対抗しようなどとは全く考えてもいなかったのですぐに断わったとのことです。どちらが本当かは知りませんが、少なくとも金森という人物はあまり信頼できる人物ではなかったようで、明治45(1912)年に組合教会に復帰したかと思えば、その2年後の大正3(1914)年には救世軍に入隊し、昭和2(1927)年には東洋宣教会 日本ホーリネス教会に入会して積極的に伝道活動しますが、昭和8(1933)年には両方とも脱退して仙人のような洞窟生活に入り昭和20年3月、89歳で亡くなっています。新神学から福音派までの極端な振幅は、精神面に於いて尋常とは思えません。金森が日本組合基督教会(明治19〔1886〕年結成)から退会したのは前掲著書の出た翌年で、その年に自由党入りしますが翌年には出ています。何ごとにも熱しやすく冷めやすいタイプの人だったのでしょうか。金森と同じく組合教会を脱退した大西祝は帝大の哲学科に進み卒業後、明治24(1891)年から東京専門学校で教え、島村抱月や綱島梁川を育てたそうです。独歩が東京専門学校に入学したのが明治21(1888)年5月で、退学したのが明治24(1891)年3月なので、大西とは入れちがいになったものと思われます。大西は、前述のユニテリアン神学校である先進学院でも倫理学と哲学史を教えたそうです。>(~webサイト「国木田独歩語録(信仰篇)」)

ちなみにWikipediaなどによると、日本女子大学の創立であり、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」では成澤泉のモデルになっている成瀬仁蔵氏は教会も創立して牧師をした人ですが、1890年代の米国留学の時期にユニテリアン思想にふれて帰国後は「帰一協会」という団体を設立しています。この団体の主旨からしても、上記の引用文中で<日本に入ってきたユニテリアン思想における「一」は、キリスト教の三一神教に対する単一神教という本来的意味の「一」ではなく、超宗教的・万教帰一といった普遍的意味の「一」になっていたようです。>と言われているように、当時の日本人が影響を受けたユニテリアン思想なるものは神学的な意味ではなく宗教・道徳の思想を統一したようなイメージではなかったかと想像されます。そもそも矢野にせよ福澤にせよ、その他の人々にせよ、およそキリスト教の「トリニティー」を中心とする教義には無関心以前に知識が乏しかったであろう人々が推奨した「ユニテリアニズム」なるものに神学的な意味があろうはずもなく、またアメリカからの宣教師達も神学的にはあまり関心がなく、あるいは宣教論的に意図的に統一思想的な意味づけをしたのではなかったのか、との疑問を感じます。
なお、当サイト「日本ユニタリアン聖書教会」は、その名称から所謂「聖書的ユニテリアン」と言われるタイプに該当すると思われるかも知れませんが、必ずしもそういうわけではありません。





[2] ユニテリアンについて

投稿者: 管理人 投稿日:2016年 1月 3日(日)22時47分7秒 cts061209222159.cts-net.ne.jp  通報   返信・引用

管理人のエムトです。参考までに、ユニテリアンに関する記事を引用します。

<一八世紀半ばより啓蒙思潮が東部に拡がり、大覚醒運動に反対する人たちがあらわれた。彼らは一九世紀始めよりハーヴァード大学を拠点とし、ニュー・イングランド神学の人たちと論争し、一八二五年には正統派の人たちと別れて、アメリカ・ユニテリアン協会を設立した。この派の人たちは、単純な合理主義者ではない。R・エマーソン(RaIpf  W.Emerson, 1803ー1882)のような人は神の超越的啓示が各人間に内在するといい、神認識は理性よりも直観によるべきことを唱えた。彼らは人間主義者であり、人間の宗教的価値を強調し、神の支配、人間の全き堕落、救いの予定を主張する正統的カルヴィニズムと対立した。キリストの救いについても、刑罰代償説ではなく、人間は自己の自由意志と道徳的能力ゆえに神の感化をうけ、自己の神性を進化発展させるという見解を唱えた。そうなると、伝統的な三位一体論、キリスト論は成立せず、唯一の神の道徳的人格性、神に遣わされたキリストの人間としての神性が高調されることになった。これがユニテリアンといわれたゆえんである。彼らは、その人間主義のゆえに、人類同胞主義や人類愛を唱え、都市改良、監獄改良事業、奴隷制反対運動にとりくんでいった。来日したユニテリアン宣教師も前述のキリスト教理解を持った。彼らは日本人と協力して月刊誌『ゆにてりあん』(一八九〇・三創刊)を刊行した。その中に次のような事が述べられている。「ユニテリアン教の考うる所を以てすれば、宗教の価値ある所以のものは、唯吾人々類の霊魂をして、惟一の上帝あることを観念せしめ、心意、感情、思想等を上帝に通ぜしめ、而して上帝に対する関係、人類に対する関係等をして、一層高尚ならしめんとするにあるなり」(クレー・マックコーレー「ゆにてりあん教は一の道徳力なり」、『ゆにてりあん』一八九〇・三)。「ユニテリアン協会は、当時の宗教上、道徳上、智力上、及社会上の問題に対しては、自由なる討議を許し、而してその討議の結果を以て、之を実際に行い、以て社会の進歩改良を為すべき良法を与えんと欲す、故にユニテリアン協会は、社会を高尚にし、また之れが改良に向て、勉めて補助と計画とを為さんと欲するなり」(アーサー・メイ・ナップ「ゆにてりあん教の体制」同上誌、一八九〇・四)。彼らの人間主義的主張を鮮明にあらわした文章といえるだろう。>(土肥昭夫著『日本プロテスタントキリスト教史』22~23頁)

日本に入ったユニテリアンに関しては、無教会の創始者である内村鑑三が、ユニテリアン教徒のカーリン夫人の世話になったこともあってか、ユニテリアンは教理上から出たものではなく道徳的観念から出たものだといった趣旨のことを述べています。これは一面的と言えるかも知れませんが、上記の引用に「人間主義」とあるとおり、ユニテリアンの特徴はヒューマニズムとか道徳的行為の実践性が挙げられます。しかしそれだけではやはり宗教としてはどうかなと思うのです。ヒューマニティーは必要ですが、それが神信仰を人間中心的なかたちにしたのでは本末転倒です。旧来型の道徳教的ユニテリアンは、霊魂救済という宗教的本義にもとづき修正する必要があるようです。



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投稿者: teacup.運営 投稿日:2016年 1月 3日(日)18時07分21秒 cts061209222159.cts-net.ne.jp  通報   返信・引用

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