一神教に関心ある人の広場



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


新着順:4/7


[4] ユニテリアン小史

投稿者: エムト 投稿日:2016年 4月21日(木)22時05分23秒 cts061209222159.cts-net.ne.jp  通報   返信・引用

以下は、「信仰と合理的思考、ユニテリアンの歴史とシャルリ・エブド紙襲撃テロ事件」からの引用です。
http://engineerism.com/2015/01/27/unitarian-universalism/


・16世紀
ユニテリアンの系譜をさかのぼると、Post to Post Links II error: No term found with slug "michael-servetus"の思想が起源にあります。
16世紀前半当時、己の良心と理性に照らして聖書を読むことを主張し、カトリックとプロテスタント双方から異端者扱いされたひとびとがいたのですが、セルヴェもそういった革新的な人文主義者のひとりです。最終的に友人のPost to Post Links II error: No term found with slug "jean-calvin"と論争し、彼の拠点であるジュネーブで火刑に処せられました。セルヴェは、三位一体が理性に反する誤謬だと主張したのです。
その後、反三位一体を標榜するひとたちがユニテリアン信条を持つポーランドの小改革派教会やトランシルヴァニアのユニテリアン教会を作りました。ちなみに、Post to Post Links II error: No term found with slug "isaac-newton"もまたユニテリアンに数えられるそうです。

・17世紀
この時期、反三位一体論の流れが「ソッツィーニ主義」として知られるようになります。
イタリアの神学者ファウスト・ソッツィーニが、1580年にポーランドの小改革派教会に指導者として迎えられ『ラコフ教理要綱』を書きました。これが、小改革派教会の神学の基準になります。ソッツィーニはキリストを模範的人間のロールモデルとして捉え直しました。

・17世紀から19世紀までのイギリス
『ラコフ教理要綱』がラテン語に訳されて英国で出版されたのを期にソッツィーニ主義が浸透していきます。『失楽園』で有名な詩人のミルトンは反三位一体論を没する直前に書き、哲学者のジョン・ロックも、1658年に宗教的少数者の権利を訴える寛容論を発表してユニテリアン主義を擁護しています。ユニテリアン主義者のPost to Post Links II error: No term found with slug "joseph-priestley"は酸素の発見で知られる自然哲学者ですが、1782年に『キリスト教の堕落の歴史』を書いています。
プリーストリーは、国教会牧師テオフィラス・リンゼイとイギリス初のユニテリアン教会を設立したのですが、非国教徒な上、フランス革命を支持したので暴徒に家を焼かれ、その後も続く迫害を避けてペンシルヴァニアに移住しました。そして、アメリカ初のユニテリアン教会を設立します。プリーストリーは科学者、政治哲学者、神学者、自然哲学者などなどさまざまな顔を持ち、日本ではあまり名は知られていませんが注目すべき万能型の才人です。
その後の英国でのユニテリアンは、ジェイムズ・マーティノウに組織化されたり、保守派と改革派に分かれたりと、現在まで続いているようです。

・17世紀から19世紀までのアメリカ
米国のユニテリアンはイギリスのそれとは独立して登場しました。
1620年にメイフラワー号に乗って渡ってきたピルグリム・ファザーズに、1629年に神の国を実現しようと渡ってきた人々が合流して「会衆派」という民主主義的な教会(教会員である会衆が教会運営の決定を行う)を形成します。米国ユニテリアンはここから生まれていきます。
まず、若者の教会離れなどが原因で2つのグループが生まれます。非合理性や突然の感情的な回心を重んじる保守派、理性こそが宗教的な成長には必要だとするリベラル派。後者は人間性を肯定し、道徳的、霊的、知的な成長を信じていました。両グループはしばらく共存できていましたが、ハーバード大学の神学教授職の選挙戦を発端に「ユニテリアン論争(三位一体か、神はただ一人だけかをめぐる論争)」が起こり決裂します。カルヴァン主義者とユニテリアン側の戦いで、セルヴェvsカルヴァンの再演です。結局、リベラル派が勝ってハーバードに神学部を設立します。
リベラル派は学部設立にあたり、ウィリアム・エラリー・チャニングの「ユニテリアン・キリスト教」という説教をマニフェストに定めます。チャニングは、自分のことは自分で責任を負い、神を愛し、神に倣い、人格を高めるよう努めるべきと考えていたようです。1825年にはボストンに米国ユニテリアン協会を設立し、同時に反発する人もまたあらわれてきました。たとえば、プラグマティズムの祖Post to Post Links II error: No term found with slug "ralph-waldo-emerson"などです。
ここからユニテリアンの諸子百家化が起こりひとりひとり意見が一致しなくなっていくのですが、レイ・カーツワイルの宗教教育を施したユニテリアン派教会にはPost to Post Links II error: No term found with slug "francis-ellingwood-abbot"というラディカル派のユニテリアンが関係ありそうです。
アボットは、個人の魂の不滅を否定し、科学的有神論なるものを唱えました。言語学者・東洋学者マックス・ミュラーの比較宗教研究の成果を取り入れて個別の宗教すべてに通底する普遍的な宗教感情を重視したのです。アボットには教義の相違を超えて人類が共通の交わりをもてる「普遍宗教」という発想がありました。ちなみにアボットは「形而上学クラブ」のメンバー、すなわち、プラグマティズムの創始者たちに影響を与えてもいます。



ユニテリアンの特質

宗教思想史家の土屋博政氏は、すべてのユニテリアン教徒に共有される信仰箇条は存在しないと断ったうえで、英米圏のユニテリアンのサンプルとしてジョン・ライトとシェームズ・フリーマン・クラークの考えを挙げています。
英国ユニテリアンのジョン・ライトが1901年に著した『ユニテリアンが否認するもの、信じるもの』によれば、ユニテリアンは以下の7つを否定します。
a.聖書全てが神の霊感を受けているという信仰
b.神は、父なる神と子なる神と聖霊という3つの位格と1つの実体において存在するという三位一体説
c.キリストが神の子であるという信仰
d.人は生まれながらにして罪を負っているという原罪信仰
e.イエス・キリストが我々の罪のために身代わりとして十字架にかけられたと信じる贖罪信仰
f.悪魔の存在を信じること
g.永遠の刑罰があるという信仰

また、以下の7つを肯定します。
A.個人で判断する権利と義務があること
B.神の存在
C.神の愛と摂理
D.救いは自分で勝ち取る責任があること
E.人は全て自分の言動に対して、環境のせいにせず、自らの責任を負うこと
F.霊魂は不滅であること
G.人類は最終的に皆救済されること

「肯定する7つの点」では、ラディカル派は(F)と(G)に疑問を感じるそうです。彼らはキリスト教の枠組みを超えようとしているので(G)は掲げません。(F)を否定するラディカル派にはアボットがいましたね。また、社会改革派という一派は環境整備を重視するので(E)には賛成しかねるそうです。
ちなみにですが、日本の隠れキリシタンも原罪は信じていませんでした。聖書を書き換えています。隠れキリシタンの聖書ではアダムとエバが禁断の果実を食べたあとにゆるされているのです。私見ですが、彼らはキリスト教を呪術や神話の世界に押し戻したのではないでしょうか? 個や自己コントロールの観念がなかったように観えます。
一方で、隠れキリシタン同様、原罪や贖罪を否定したユニテリアンには、個の意識や理性への信頼が強くあります。
米国ユニテリアンの保守的なリベラル派であるジェームズ・フリーマン・クラークは、ユニテリアン主義を普遍教会に発展させよう、キリスト教の教義を自由主義化すれば普遍的になると考えていたそうです。『十大宗教』という比較宗教の研究所を書いていて、普遍宗教の共通点を探ろうとしたそうなのですが、土屋氏が指摘するには「リベラルなキリスト教的バイアスを持って他宗教を包括するもの」でした。
以下は、クラークの「ユニテリアン信仰五箇条」です。
A.神の父たること(土屋氏によれば、神の唯一性を示す当時の表現とのこと)
B.人間皆兄弟
C.イエスが指導者であること
D.品格による救済
E.人類の無限の進歩
イエスはあくまで人間であり、ユニテリアンが常に強調している自己修練、個人的成長、楽観的な進歩思想が(D)と(E)に強く表れています。
こうしたクラーク流のリベラル・ユニテリアンの神学に対し、20世紀の大神学者パウル・ティリッヒは人間の「悪魔的な」性格を見抜く洞察力に欠けると批判したそうです。


ユニテリアンの意義

不必要なストレスを予防したり和らげたりするためには心や野性をある程度コントロールする必要があります。したいこと、すべきことをするためにも、怠惰や好き嫌いによる拘束をゆるめ、回避行動(嫌なものや状況を避けようとすること)や自分への言い訳、一時しのぎを減らさなければなりません。易きに流れず、自分の感情や認知フレームを器用に導いていくことは幸福度や生産性の向上につながります。
ユニテリアンのスタイルはこうした文脈から評価することができます。イエスを模範、教師としてとらえ、教条的であることを避けようとし、個の判断を重く見る態度は、人間の力への過度な信頼を招きうるとはいえ、学ぶべきものが当然あります。理性やロールモデル、自己コントロールといったものは古くさくダサく思われがちですが、依然有効なのです。
もちろん、プラグマティズムへの直接的・間接的な影響を与えているユニテリアンは、思想史的にも無視できない存在です。


新着順:4/7


お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.